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障害者週間です

 

今年の障害者週間がやってきます。

日本では毎年、12月3日から9日までが実施期間となっています。

また、世界的には12月3日は国際障害者デーに制定されています。(国連)

カトリック教会でも今年の12月は障害者のための祈り、という期間に入ります。

12月と言えばクリスマス一辺倒になる世の中ですが、

障害のある人たちについて思いを寄せる季節でもあるのですね。

カトリック教会の教皇フランシスコが、今年の12月の祈りについて以下のように述べています。

完全にバリアフリーの小教区を作ることは、物理的なバリアを取り除くことを意味するだけではありません。それはまた、「彼ら」について話すのをやめて、「わたしたち」について話し始める必要があると理解することでもあります。

彼らではなく、わたしたちとして、障害のある人たちを捉えること。

壁を取り除く唯一の方法です。

以下の動画で話されていますのでご興味のある方はどうぞ。

 

障害のある人たちについて考えることは、つまり自分について考えることなのです。

 

 

2023年11月29日

ジャパンタクシーはなぜ役立たずなのか。

wikipediaより

ジャパンタクシーの経緯

東京オリパラの開催に合わせて、ユニバーサルなタクシーを日本中に走らせるために、2017年にジャパンタクシーは生まれました。

特に通常の乗車スペース(後部座席)に車いすのまま乗車可能な構造は、日本の車いす利用者にとって希望の光となったはずです。

私もある販社から依頼を受けて、発売前の内覧会に招かれて、タクシー事業者の前で講演した経験があります。

その時の講演で私は、ジャパンタクシーという道具だけを走らせても、宝の持ち腐れになるだけで、ドライバーの意識改革が欠かせないと主張しました。

ジャパンタクシーは発売後、特に電動車いすの乗客に対応できないという欠点が当事者から指摘され、政治的なテーマにもなる事態となりましたが、現在では乗車用スロープの耐荷重設計を見直して、重量のある電動車いすでも乗車可能な車両に改定されています。(全ての電動車いすが乗車できるわけはありません。乗員の体重が加味されます)

タクシーは乗るのにお金がかかります。それも必ずしも安くはない。だから貧困に苦しんでいる人はそもそも対象外の移動手段です。そのことは大きな問題を含んでいますが、そうであっても、車いすのままタクシーに乗れることは、多くの障害者に恩恵をもたらすだろうと、私は考えていたのです。

実際に当会が行う医療従事者向け研修会でも、ジャパンタクシーを紹介しており、自家用車を手放した障害者や高齢者の移動の利便性を高める道具として、患者に進めるように言っているのです。

発売から5年ほど経って、車いすユーザーに恩恵があったのかと問われると、首をかしげてしまう、というのが私の実感です。

データがないので私の空想でしかありませんが、ジャパンタクシーに車いすごと乗る乗客はほとんどいないのではないかと思うのです。

確かに、乗り降りに異常な手間と時間がかかる。運転手の配慮が足りない。乗降する場所に制限がある。などなど、数えきれない不満が思いつきます。

しかし、トヨタ自動車というエリートが集まる会社の研究職が、なぜそんなことにも気づかないまま開発したのか?不思議でなりません。

そして、それらが事実ならば、その理由は何だろう?と私は考えてきたのです。

理由はいろいろあると思います。

挙げればきりがないのですが、最近、ある出来事にあって、なるほどなあ。と納得したのです。前置きが長いですが、今日はその出来事についてご紹介します。

wikipediaより

目的なき事業計画

先日、ある企業の新規事業に関する企画書を拝見する機会がありました。輸送システムに関する事業を展開する企業が行う、病気や障害のある人を対象にした事業です。

そして、事業を始めるにあたっての意見を求められ、企画書が送られてきました。

それを拝見して、まずに気付いたのが、その企画書には事業の目的が書かれていなかったのです。

事業とはおおよそ、何かの目的を達成するために行われます。その目的が書いていないのです。

私は一般企業の事業企画書を見る機会は初めてでしたが、中央省庁等が作る企画書は良く手にします。そして、その企画書の冒頭には大抵事業の目的が書かれています。

そこで問い合わせてみると、「企業価値を高める」のが目的だと返事が返ってきたのです。

私はそれを聞いて驚きました。病気や障害のある人を対象にした事業の目的とは、当然のことながらそれら当事者への便益であるはずだと、私は考えていましたが、そうではなく自分の会社の価値を高めるのが目的であることに驚いたのでした。「そもそも当事者のことは二の次なのか?」

結局私は、この企画書に対する意見を述べるのを断念しました。言っても無駄だろうと思ってしまったのです。

手段が目的へと逆転する

この経験から私が感じることは2つあります。

一つ目は「道具が高度化すると不可避的に目的と手段が入れ替わる」というイリュールやイリイチの言葉を思い出します。会社という、何らかの公益を追及する道具の、内部構造の複雑さが増し、仕事の進め方が高度化する時、イリイチの予言の通りのことが起こるのだと。

もう一つは、このような会社はきっとここだけではないだろう、日本中の会社、いや日本そのものがそうに違いないと確信したのです。

あらゆるビジネスや、法律や制度は、現在、改定すればするほど、益よりも不利益が増大していると感じる方は少なくなのではないでしょうか?法律や制度も、特定の目的を達成するために人間が設計した道具なのです。

それは規模の大小に関わらず、高度化した企業や社会が必ず陥る罠だとイリイチは指摘しています。

そう考えた時、どうしてジャパンタクシーは役立たずなのかを考えるヒントが見えてきます。

私はジャパンタクシーの開発と販売についての企画書を見ていませんが、

もしかするとその文書の中には「当事者の利益」について明確に書かれていなかったのではないか?二の次になっていたのではないか?と想像してしまいます。

ユニバーサルというわが国では新しい価値を、タクシー車両の販売を通じ、オリンピックという場を通じて世界に発信し、自分の会社、及び国家の価値を高める。

もしそうであれば、つまり、当事者のためではなく、自分の欲を満たすために作った車だといえます。これでは当事者の益になるはずがありません。そもそもそのような目的で作られた車ではないのですから。

わたしは、このブログで特定の企業を攻撃する意図は持っていません。私が言いたいことは、このような目的と手段が入れ替わる、ということは、どんな道具にも起きるし、現に起きているという現実を自覚することの大切さと、困難さについてです。

病院も、患者の疾患を治療するという目的を持った一つの社会的な道具です。それが複雑化、高度化した時、上記と同様の目的と手段の転換が不可避的に起こる。

研修会の中でも触れていますが、運転評価もいつの間にか目的と手段が入れ替わるという事が起きました。

評価の目的は「運転免許が更新の可否」です。しかし、現在シミュレータや実車評価によって、実際に患者が安全に運転が出来るかどうかが、評価の目的に変ってしまっています。

その理由は明確で、評価の手法を改良する試みが高度化することによって、目的と手段が入れ替わった。シミュレータや実車評価は、本来は診断書作成のための手段の一つでしたが、今はそれが目的となり、免許更新の可否を検討するのではなく、実際に安全な運転が出来るかどうかを評価する、というシステムになってしまいました。そして、このような転換は、やはり患者にとっては不利益でしかないのです。

道具=システムの中で働く人たちはその道具を俯瞰して見ることが苦手なものです。

それは地球が青い色をしていることを人間が知るためには、地球の外へ出るほかなかったのと同じでしょう。

なぜ俯瞰することが苦手なのか?

それは、人間とは高度な道具の内部では歯車化してしまうから。

イリイチは、目的と手段が転換すると、当初想定した便益を遥かに超える不利益が、当事者に及ぼされると警告しています。

私たち現代人は、システムという道具から逃れることが出来ません。

だからこそ、俯瞰する思考が重要だと思うのです。

 

 

2023年11月24日

タクシーVsライドシェア タクシー事業者が今やるべきこと

病気や障害のある人にとって、自動車による移動はとても重要です。運転を控えるよう医師から助言を受けたり、免許を返納、又は取り消しになってしまった人たちは決して少なくないからです。

これらの人たちにとって自動車が自宅まで迎えに来てくれるタクシーはとても便利です。しかし、病気や障害のある人たちや身体に不自由のあるお年寄りが、実際にタクシーを活用しているかと言えば、必ずしもそうとは言えないのが現状だと思います。

どうして、便利なタクシーがあるのに利用しないのか?詳細な調査データがあるのか私は知りませんが、知り合いや会員の話しを聞くと、いくつかの課題が見えてきます。

私が聞いた範囲での理由は、主に①お金について。そしてもう一つが②安心して乗れない。③時間を無駄に使う、という3点に集約できます。

①お金の面

端的に料金です。自家用車を保有するより日常の移動であればタクシーの方が割安であるというデータはいくらでも見つかりますが、それを理解するのは中々難しいでしょう。しかし、タクシーが割高というのは明らかに誤解に基づいていますので、これを解消する取り組みを、お年寄りにも分かりやすい方法で示すのは大切なことです。

②安心して乗れない

タクシーの運転手はこれまでの経験から、何よりも迅速に送迎する事を心に止めて仕事をします。これは顧客がそのようなニーズを持っていて、それを満たす必要があるという動機+速く送り届けることで次の顧客を探す時間を増やすという2種類の動機が混じっています。確かにビジネスマンを乗せたり、深夜に自宅へ送る場合、顧客が早く着きたいと考えるのはもっともなことですが、病院へ行こうとしているお年寄りや障害のある顧客は必ずしもそうは考えません。右へ左へと身体を揺さぶられ、信号で止まるたびに手すりを掴まなければならない乗り物に乗ってまで、早く着きたいとは思わないのです。お年寄りの中には背中が曲がっている人もいるでしょう。そういう人は背もたれに寄り掛かれません。足が不自由なら足で踏ん張ることは出来ないのです。車いすごと乗る乗客は、重心位置が高くなりますので、シートに座るよりも大きな力が身体にかかります。お客がどんな人なのか?どんなニーズをもって乗ってきたのか?急ぎたいのか?ゆっくり走って欲しいのか?顧客のニーズは多様であることを考えることが、新たな顧客を手に入れる方法の一つと思います。

③時間を無駄に使う

歩いて1時間かかる場所へタクシーなら10分で行けるなら、50分もの時間を節約することができる。そう考えるのは現代人特有です。50分という新たな時間を手に出来れば色々なことが出来て合理的です。しかし、お年寄りは必ずしもそう考える人ばかりではありません。もし10分間のタクシー乗車が楽しくなく苦痛であったなら、50分を得したと考えず10分損をしたと考えるかも知れません。嫌な気持ちを抱くくらいなら歩いた方がましだ。と考えるのは以外と自然の気持ちなのです。なぜなら私たち日本人はかつては誰でもそう考えていたからです。移動、つまり、目的地へ到達するための手段と現代人は考えますが、例えば江戸時代はそう考える人は余りいなかったと言われています。移動を手段とは考えず、移動そのものも目的の一部と考えていたと言われています。だからこそ、東海道53次など、移動を単なる手段としてではなく、目的の一部と考えからこそ生まれた芸術なのです。

現代人は移動を単なる手段、つまり目的地へ到達するためのプロセスであって、出来るだけ速くてっとり早く済ませるものと考えていますが、本来移動とは手段ではなく目的の一部なのです。この現代人が忘れた価値を提供できるのは自動車、特にタクシーが与えられる貴重な価値なのです。繰り返しになりますが、高齢者は移動を単なる手段と考えていないかも知れません。いかに移動を手段から目的の一部へと転換できるか?自動運転タクシーやライドシェアとの差別化という観点からも重要な問いかけだと思います。

母親がタクシーを使わずにわざわざ遠方で暮らす息子に送迎を頼んでくる。良くある話ですが、それはきっと移動という手段を求めているわけでなく、息子と会うという目的を果たすための行動なのではないでしょうか?

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タクシーの利用者数は少子化や経済状況等の影響を受けて右肩下がりが続いており、ドライバー不足が拍車をかけることで、タクシー事業者のお尻には火がついて慌てている。これが現在のタクシー業界ではないかと思います。

そこに突如現れたのがライドシェアです。ウーバーなどの米国企業が有名ですが、一般ドライバーが行うタクシー事業という、タクシー業界にとっては新たな競争相手が現れました。

私は個人的にライドシェアという制度は遠からずこの国に導入されるだろうと考えています。何よりもウーバーは米国企業なのですから。それに多くの国民がライドシェアを利用すると思います。ウーバーイーツが受け入れられるのと同じように、特に若者や都市生活者はライドシェアに抵抗はありません。

まだ、導入の是非についての議論のさなかですので性急ですが、もし、ライドシェアの料金体系が、既存のタクシーより安いとなれば、タクシーは絶滅の危機を迎えるでしょう。必ずしも運賃の高低ではなく、ポイント付与などによって料金の差別化は可能でしょう。

ではタクシー会社はお手上げなのか?私はそうではないと思うし、変革次第だと考えます。

では、ここで私が考える変革のヒントをいくつかお伝えしましょう。

①タクシーとは何なのか?タクシーの目的を思い出せ。

タクシーの目的は公共交通機関としての役割を果たすことです。もちろん事業者は私企業ですからそのほかにも色々の目的があるとは思います。例えば大儲けするとか。しかし、最も最重要な事業の目的は、公共交通機関の役割を果たすことに他なりません。タクシーの歴史について私は詳しくありませんが、多分、この国で最初にタクシー事業を始めた会社の社長さんは、創業に際して公益という壮大な目的を掲げていたに違いありません。それが、時を経て、社長の代が変わり、事業の高度化や組織の複雑化という一種の改良を重ねるうちに、当初の目的を忘れてしまったのです。タクシー事業を、何らかの目的を達成するための社会的道具と考えた時、道具が高度化し複雑さが増すのと同時に、当初の目的から離れていき、なおかつ、当初の目的の達成に伴う便益を上回る不利益を生み出す。これは自明なことなのです。

②なぜ便利な乗り物なのに乗りたくない人がいるのか?

これは前述の3つのテーマに関わる問題です。折角あるのに乗らない。乗りたくない。乗りたいのに乗れない。そういう隠れたニーズを掘り起こすための啓発と信頼回復は急務です。

③ハードウェア(道具)だけじゃ足りない。

近年ジャパンタクシーなど車いすごと乗車できるようなタクシーが普及してきましたが、私見ですが多分宝の持ち腐れです。結局、道具だけあってもそれを扱う人間、つまりドライバーの質が問われているのです。ジャパンタクシーでなくても、ドライバーの心持さえあれば、十分高齢者や障害者に満足してもらえるでしょう。

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今やらなければライドシェアに食いつぶされる

タクシーが絶滅するとは思いませんが、その多くが無くなるでしょう。タクシーもライドシェアも現状ならそう違いはないからです。

タクシーは2種免許が必要ですが、だからと言って2種免許ドライバーの方が1種免許保有者より安全なのかと問われて明解に答えが出るとは思いません。事業用自動車の事故は現在でも大きな社会問題なのです。また、2種免許保有者の方がお客に配慮して優しいかと言われれば、これも首をひねってしまうでしょう。ウーバーイーツの配達員は、みな笑顔で優しくお客へ対応してくれます。しかし、ライドシェアとタクシー事業には決定的な違いがあります。それはタクシーは公共交通機関であるということです。もう一度それを思い出して欲しいと思います。

 

最後に

ライドシェアでなくても、現在様々なな場面で一種免許保有者が一般客を送迎している現実が既に存在し、社会は必ずしも2種免許を重要視していません。有償福祉輸送やデイサービスや病院などの送迎です。しかしこれらの送迎の事故もまた大きな社会問題になっています・これらの事業は本来タクシー事業者が担うべき分野だと思います。公共交通という当初の本来的な目的、そして「公共」とは何なのか?を今一度思い出してほしいと考えています。

 

 

2023年11月07日